漫画とか小説とか、本来題材はなんでも良いはずなのだが、たまに「それを題材に持ってくる!?」と読む前の時点で感動することがある。
例えば漫画で言うと囲碁だ。自分はたまたま囲碁になじみがあったので囲碁漫画にノーストレスで挑むことができたが、作者の相当な手腕がないと動きがない&そもそもルールがよくわからない囲碁を題材にしたとしても、退屈なものになってしまうだろう。それをかの有名な漫画「ヒカルの碁」ではストーリー性と画力で成立させてしまうのだから凄い。
最近では「伍と碁」が連載しており、そちらも十分面白い。というか、ヒカルの碁であんなにすごい社会現象が巻き起こった後で、比べられるの覚悟でなおニッチな囲碁を題材にして漫画を描こうとする作者の胆力がとにかくすごい(囲碁愛好家としてはもっと広まってほしい)。
もうひとつは落語だ。落語を題材にした小説・漫画は結構あるが、最近では「あかね噺」だろうか。真打の父を尊敬して主人公の女の子が自ら真打を目指すために奮闘するという内容だが、これの何が凄いって、あの少年ジャンプで連載していることだ(ヒカルの碁もだけど)。
同誌で海賊王を目指して冒険に繰り出したり、忍術の存在する世界で最強を目指したり、カッコいい剣を駆使して悪と戦ったりと、どれも少年の元来持つ(?)厨二の本能がくすぐられる漫画がたくさんあるジャンプの中で、落語をテーマに同じくらい読者をワクワクさせてしまうのだ。こちらも読んでいるうちに個性的なキャラクターやストーリーに徐々に引き込まれていくとともに、「よくぞこのニッチなテーマでここまでの話に」と思わず拍手を送りたくなってしまう。
そしてこの「君のクイズ」という本に出合った時、題材に同じくらい衝撃を受けた。クイズは昔から好きで、「IQサプリ」や「Qさま!!」、高校生クイズなど、クイズをメインとしたテレビ番組ならばいくらでも見てきた。しかし今やありふれたそのクイズを小説に、かつミステリーにしてしまおうとは。クイズとミステリー、謎という点でなんとなく相性は良さそうだけど、それでも内容がまったく予想できないこの面白い組み合わせに興味を持ち、本書を手に取った。

本記事のサマリー:
- 内容そのものより、むしろ知識のインプットが楽しかった
- その道の「プロ」になりきるのってすごくしんどい…
- クイズは人生を肯定してくれる?
読んだ本

- タイトル:君のクイズ
- 著者:小川 哲
- 出版社:朝日新聞出版
感想あれこれ
正直ミステリーの内容よりも…
この本を読み進めながら途中で気が付いたのだが、本書でミステリーの真相にたどりつくよりも、その道中で出てくるクイズに関する知識のインプットがめちゃくちゃ楽しい、ということだ。本編のメインストーリーは、クイズ番組の決勝戦で問題文を1文字も聞かずに正解した主人公の対戦相手の謎を追うというものである。
ミステリーなのだから、読者にとってはこの謎の真相が一番気になるところだろう。一方で、その謎を解き明かすために、主人公はその当時の決勝戦の番組を何度も反芻する。なんなら、その問題を主人公と対戦相手のどちらが正解したかというだけでなく、解答となる語句の解説と、主人公がどこでその知識を仕入れたのか、そのエピソードが回想チックに紹介されるのだ。自分にとってはその知識はを解説とともに自分の中にインプットしていくのがとても心地よかった。
本編で出てくる知識は基本ノンジャンルで、トルストイの長編小説のタイトルを答えさせる問題や、代々徳川将軍によって所蔵されてきた日本刀の正式名称を答えさせる問題など多岐にわたる。そのため読み手はストーリーを追うごとに全方位にほんの少しずつ賢くなっていくのだ。
そして数ある問題の中には自分が知っている問題もちらほらと出てくるのもいい(例えば大阪に存在する日本でもっとも低い山を答えさせる問題や、千葉駅交番のモチーフになっている生き物を答えさせる問題である)。既存の知識で答えられる問題が出てくることで単純に嬉しいということもあるし、すべて全く知らない知識を一から身に着けていくよりも、知識を補完していくモチベーションになるのだ。
知識を補完する「モチベーション」というのが一体何なのか、と改めて言われると自分でも明確に答えることは難しい。だが、自分がよくわからない知識をインプットするのが楽しいと明確に感じたのは中学一年生の時だった。
中学に上がると社会という科目は地理と歴史を本格的に深堀りし始める。その際、地理は本編である教科書と合わせて、地図帳という別冊子が与えられるのだ。この地図帳、言ってしまえば地球儀を冊子という媒体に落としこんでいるだけのものなのだ。だが改めて各国の地名をまじまじと眺めたことがなかった自分(+自分と仲が良かった友達)は地図帳にとても魅了された。
今まで「イギリス」としか認識していなかった国の正式名称が実はとんでもなく長かったり、「セントクリストファーネイビス」という、声に出して読みたい国名があったり、「ン」から始まる都市(それも首都)が存在しているなど、ページをめくるたびに発見の連続だった(正直授業は半分くらいしか聞いていなかった)。
地図帳を手にしてからというもの、友達といかに長い正式名称を覚えているかや、難しい地名をすらすらと言うことができるか、国名を問われて首都を正確に答えられるかなど、ひたすら夢中になった。とにかく知識を蓄えて、それらをとにかく誰かに披露してみたい。それが知識をインプットするモチベーションであり、今になっても続いている(振り返ってみると相当ナルシストだ…)。
もうひとつ本書を読んで気が付いたのだが、読まれるクイズに対して回答する際、一番気持ちいいのは「わかった」で押すのではなく「わかりそう」のタイミングで押して正解できた時、ということである。
最近では「みんはや」をはじめとしたクイズアプリが普及し、どこにいても全国の見ず知らずの人とクイズバトルを繰り広げられるようになった。自分のその波(?)に乗ってライバルたちとクイズの早押しで競っていたわけだが、クイズ初心者なりに、正解した時の快感に濃淡があることに徐々に気づくようになった。
たぶんベタ問に限ったことではあるのだが、問題文に込められたヒントがすべて読まれた状態で回答できるのは、回数を重ねていけばなぜか「まぁ、できるか」みたいなマインドになってしまい、そこにあまり感動みたいなものはなくなってしまうのだ。
ところが「わかりそう」のタイミングで押すのはわけがちがう。不確定な要素が多々ある中で、これまでに自分が得た知識たちを総動員して、問題文の残りの空白を脳内で補完して、正解を導き出すのだ。その時の数秒は、筋トレでギリギリの負荷をかけているかのごとく、自分自身の限界突破をしているような感覚になる。そして、そうやって正解を導くことができた時の快感と言ったら、ない。他では味わえないほどの脳汁がドバドバ出るので、クセになってしまうのだ。競技クイズにのめりこむ人の中にも、この快感をモチベーションにしている人も恐らくいるのではないだろうか。
「競技クイズ」ということ
「そんなクイズについてアツく(?)語るのであれば、お前も競技クイズをやったらいいじゃないか」と言われそうだが、残念ながら自分にはその意欲がなかった(競技クイズに挑めるほど賢いか否かは別問題として)。なぜなら(ちょっと極端な話ではあるが)本書を通して「プロ」であることのしんどさを改めて考えたからである。
「プロ」というのは個人的に「自分の任意のスキルを売って、その対価としてお金を受け取る人」のことを指すと考えている。そしてそのプロになった瞬間、必ずしも「楽しい」が最上位にくることは無くなると思うのだ。
テニスでも将棋でもピアノでも、きっかけは皆「楽しい」で始めると思う。そしてアマチュアであるうちも、その範疇でいられるだろう。しかしその道でご飯を食べていくというレベルになると、たとえ途中でケガをしようが、嫌いになろうが、簡単にリタイアしたり一旦離れることは許されなくなってしまう。自分はなんだかそこにとても違和感を感じてしまうのだ。
本書でテーマとなる競技クイズだってそうだ。今日において競技クイズのプロというのはまだ存在していないと思う。しかし競技クイズも突き詰めていくと、楽しさそっちのけで、とにかく知識を詰め込むことに対する使命感に囚われながら生活する羽目になると思うのだ。
ふとした時に年号を目にして、「この年のノーベル賞受賞者はこの人とこの人で…」と考えたり、どこかに旅行に行った時に「ここのこの食べ物の生産量は全国で何位で~」とか、四六時中クイズに頭を割かれることになるのだ。これってもはや他の競技におけるプロと同じくらい生活を侵食されていると思うのだが、それって幸せなのだろうか…とどうしても考えてしまうのである。
それでも競技クイズをやめられないのは、本書にも出てくるように、クイズに勝つことで人生が肯定されるという喜びを知ってしまっているからではないだろうか。
クイズに勝てばその人の人生が肯定される?
このフレーズを自分が初めて聞いたのは本書ではなく、とある競技クイズ経験者のYouTuberの発言だった。クイズに勝つための知識を得る機会というのは、どこに潜んでいるかわからない。たまたまどこかレジャーで遊びに行った時に公園の中にある看板に書かれている知識が活きるかもしれないし、本書の主人公のように、たまたまビュッフェのコーナーで目にした広告に書いてある内容がそのまま出題されるかもしれないのだ。「勝てば官軍」という言葉があるが、クイズに正解さえすればたまたま勉強をさぼって外に遊びに行ったことも、どこかでふらっと寄り道して帰ったことも、すべてが勝つために必要な要素だったことになるのである。
「人生が肯定される」という言葉、競技クイズをやっている人にとってはわかるのかもしれないが、そうでない身からすると、聞いたときは正直ちょっと大げさだな表現だと思った。でも、自分の原体験と結び付けてクイズに正解できた時の快感というか、ある種のエモさみたいなものはちょっと共感ができる。そう思ったのは、作中で登場する「フクロウ」を回答させる問題があったからだ。
作中で登場する「フクロウ」が回答の問題には「ストゥリクス・ウラレンシス(学名)」「『森の番人』のイメージ」「千葉駅前交番のモチーフにもなっている」というヒントがちりばめられている。学名も「森の番人」の別名も知らなかった自分だが、最後のモチーフにはピンと来た。なぜなら、学生時代に千葉に在住していたことがあったからだ。
長い浪人生活を終えてようやく大学生になり千葉での一人暮らしの権利を手に入れた自分は、ことあるごとに千葉駅周辺に足を運んだ。田舎から意気揚々と出てきた自分にとって、SOGOをはじめとした大きなショッピングセンターやヨドバシカメラレベルのお店がところせましと並んでいる千葉駅周りはとても刺激的な大都会だった。デュラララの主人公 竜ヶ峰帝人が初めて池袋を訪れた時に受けた衝撃に勝るとも劣らなかったのである。
そんな千葉駅へと向かう道中に必ず通過していたのが千葉駅前の交番だ。真っ赤なヘッドに黄色いぎょろっとした目、大きなくちばしに縞々のボディ。千葉を去ったのはもう10年近く前になるが、今でもありありとその姿を思い出すことができる。渋谷駅にとってのハチ公、なんならハチ公くらいたやすくパクっと食べることができそうなくらいのサイズ感で戦闘力の高そうなこのフクロウ。「千葉駅でメジャーなランドマークは何か?」と答えたら真っ先に挙げることができるくらい強烈なインパクトを千葉駅来訪者に与え続けてる。
「ただ近くに住んでいたから知っていただけ」と言われたらその通りなのだが、もしかの浪人時にセンター試験で大コケしていなければ(?)、そして泣く泣く第一志望を取り下げたものの無事合格できて千葉での一人暮らしをしていなければ(?)フクロウの問題にピンときてかつての学生生活を思い出してエモがることができなかったら…と無理やり耽ってみると、なかなか感慨深いものがあるのだ。
終わりに
「クイズ」という概念がいつはじまったのか、自分にとっては定かではないが、今や民主化して我々にも十分なじみのあるクイズ。単純に考えればこれから人生経験を積めば積むほど答えられる領域は増えていくのだから、クイズに対するモチベーションは今後も右肩上がりに伸びていくのだろう。本書のようにクイズをテーマとする作品を読むたび、そしてテレビ番組でクイズ企画を目にするたび、思い出したようにクイズ熱がふつふつと湧いてきて、みんはやのアプリを開くのである。
それでは、また。
