ぶらり、かやぶきの里

 「京都の自然の魅力は桜と紅葉の二択」。自分が関西に仕事の兼ね合いで移住するまでは、そんなアホな思い込みがあった。しかし実際に関西に移住してみると、自分が想像していたよりも圧倒的に季節の楽しみ方がたくさんあることに気づく(というか、年齢を重ねるにつれて、自分の中での自然の解像度が上がっているだけなのかもしれない)。個人的には、梅や紫陽花がそうだ。景観の美しさは、桜や紅葉に勝るとも劣らない戦闘力を有しており、なぜこれまでの人生で愛でてこなかったのかと、自分のことを激しく責めたほどである(嘘)。

そしてコスモスもそうである。植物に疎すぎてコスモスが何月に咲くのかすら知らなかった自分であるが、昨年大阪の万博記念公園を訪れた際に、そのビビッドな色合いに感動したものだ。これが人工でない自然の中で、かつ人里はなれたところ(特に京都)でのんびりと楽しむことができたらどんなにいいだろうと思った。ところが今の関西では相当気合を入れないと、人口密度の低そうなエリアを探すのは難しい。

特に最近の京都はとにかく人が増えた。インバウンドで海外から旅行客が多いのは、経済面で見れば喜ばしいことだ。だが、本来静けさを美徳とする日本の景観に人がごった返してしまうと、行ったという事実だけで本来の美しさを楽しむという目的は達成しづらい。あまり喜ばしいことではなかったが、コロナ禍で人が全然いなくなったあの静謐な状態こそ、本来の京都の姿だったのではないかと思ったほどだ。

「コスモス✕人里はなれた場所」で探して行き着いたのがかやぶきの里である。京都駅から公共機関でいけないことはないが、車以外だと中々にたどり着くのがしんどいその秘境は、知る人ぞ知る名所であった。

昔話に出てきそうな秘境

 かやぶきの里に到着した時の謎のタイムスリップ感は異常である。山に囲まれた里を見渡すと、ほぼ自然と茅葺きの家しかないのだ。人が密集している観光地ばかり行っていた自分にとっては「ここは本当に京都か?」と思ったほどだ。

そして何より静かである。ただし、それは「全く音がない静謐な空間」という意味ではない。かやぶきの里はすでに観光地としてメジャーな場所であるから、そこに人がいないわけではない。実際、バスで凸撃して大人数で里を回っている集団もあった。だが、そこで生じているすべての生活音は、自然のホワイトノイズによってすべて吸収されてしまうのである。どんなに人間が会話をしようと、どんなに鳥たちが鳴き声を発しようと、背景の山々によってたちまちニュートラルに戻されてしまうのだ。この自然様に何をしようが有無を言わさぬ雄大さにかき消される様は、まるで孫悟空が筋斗雲で遠く飛び回って柱に自分の名前を書き、得意になっていたら実はそれはお釈迦様の指でした~のエピソードを知った時のような心持ちになった。決して無音ではない。しかし沈黙を極める山々のスケールの大きさに、自分はある種の静かさを感じたのだ。

 京都でも最近はやはり時代に合わせて建物の種類も変化してきており、昔ながらの老舗っぽい木造の家も徐々に減りつつある。そんな中、こうやって里ごとタイムカプセルのように時代を凍結して現代まで受け継がれているのを見ると、たまらないのである。非日常を求めるとなると、真っ先に思いつくのはディ○ニーランドとかU○J(銀行じゃない方)とかが多いのだが、非日常というのはこういうことを指すのではないかと思う。無理に人工の空間に飛び込まずとも、非日常は意外と日本の至る所に隠れていると思い知らされるのである。

他ではお目にかかれない茅葺きの家

 自分が元々目当てにしていたコスモスは、現地に確かに咲いていた。咲いていたのだが、どうしても茅葺き屋根の家のインパクトが強すぎてそちらに目がいく。調べたところ、50棟あるうちの実に39棟は茅葺き屋根なのだそう。茅葺き屋根の名所というと、自分は正直白川郷しか知らない。白川郷にはまだ行ったことはないが、俯瞰でしか見ることがない白川郷の合掌造りも近くで見るとこんなにもっさりしているのだろうか。

当たり前のように使われている茅葺き屋根だが、「そもそも何故茅葺きなのか?」という疑問が湧いてくる。調べたところによると、その理由は(諸説あるが)枯れていても物理的な強度を保つことが可能で、耐水性もあり腐りにくいから、ということだそうだ。「でもその中で料理をしたり、囲炉裏で火を焚いたりするのだから耐久性低そうじゃね?」と思うかもしれない。ところが実態は逆である。むしろ、煙が蔓延してほしいのだ。生活による煙が家の中で発生すると、煙が立ち上って天井が燻されることになる。その結果、虫や微生物がつきにくくなるのだ。その証拠に、伊勢神宮の社殿は生活による煙がないため、民家の耐用年数が約30年であるのに比べて、10年程短くなるらしい。こんなからくりもあって、茅葺きが民家に寧ろうってつけであるというのは面白い。経緯は知る由もないが、もし初めて茅葺きの使用を思いついた人間がここまで読んでいたのなら恐るべきことである。ただし、茅葺きは火にめっぽう弱い。それを踏まえると、この里での一軒一軒のなんとも言えないソーシャルディスタンス感は結構頷ける。

 ところで自分はコスモス目当てでかやぶきの里を訪れたが、この里にはより有名なそばの花が群生している(というか大半の人はそばの花目当てでくるのだろう)。そばの花は単体で見ると白く小ぶりで、素朴な印象を受ける。だがそれらがかやぶきの里という淡いコントラストの中に群生している様を見ると、なるほど、ビビッドで強い色合いのコスモスよりも相性がいいのかもしれない、と思えてくる。惜しむらくは、そばの花のシーズンが終わりかけであったことだろうか(大半は枯れてしまっていた)。目当てのコスモスは無事に拝むことができたが、次回以降はそばの花ありきで里に凸撃するしかない。

終わりに

 日本各地で秘境っぽいところを見つけると、魅力的なのでもっと周りに広まって欲しいという思いと、これ以上広まらずに知っている人間だけでひっそりと楽しみたいという思いが交錯する。が、自分は吝嗇なので後者の思いの方が強い。煌びやかな観光スポットに気を取られている間に、自分の中でよりニッチな、知る人ぞ知る秘境スポットのストックを増やしてやる気マンマンである。


それでは。

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