グリコというゲームは面白い遊びだが、果たしてバランスの取れたゲームなのだろうか?3条件のうち、「グリコ」は3文字で、残りの2条件はいずれも6文字。どちらか一方は他の2条件の中間くらいに設定しないとアンバランスなのでは、と当初考えていた自分はひねくれものなのかもしれない。
グリコというじゃんけんゲームの起源は明確ではないが、1933年の広告にはすでに載っていたそう。そんな懐かしい遊びの名前が表紙を飾る本書。タイトルの単語の強さとジャケットのショッキングな色使いからして、なんとなくハードなデスゲームを想像していたが、蓋を開けてみると真逆のほっこりギャンブル小説だった。自分のような、イヤミス中心に読みふけって変な刺激に疲労困憊していた読者にとって、お口直し的な小説になるかもしれない。

本記事のサマリー:
- 誰も不幸にならないギャンブルっていいよね
- 絶対に負けない主人公は見てて安心
- 発想力と思考力を併せ持つ著者
読んだ本
- タイトル:地雷グリコ
- 著者:青崎 有吾
感想云々
マイルドなギャンブル小説
この手の頭脳戦が繰り広げられる作品ですぐに思いつく有名作は、カイジとか、ライアーゲムとかだろうか。だが頭脳戦✕学園モノという組み合わせで言えば、賭ケグルイが一番近しい作品になるのかもしれない。それらの作品は本編で大体誰かが超絶破産したり、最悪の場合死に至ったりするものだという勝手なイメージがある。ギャンブルにそのスリル要素が加わるからこそ面白くなるのだろう。だが、本書においてはそういう凄惨な結末が待ち構えていないのがいい。誰も破産することはないし、誰も不幸な思いをすることはない(ただし一時的に大金は賭けている)。前述のようなギャンブル小説に対する謎の思い込みを持っているがゆえに、逆にこういうほっこりギャンブルストーリーの方がマイノリティで新鮮なんじゃないかと思い始めた。
圧倒的に強い主人公
前述のマイルドさに加え、主人公が元々とてつもなく強いというのも個人的には珍しい。大抵の主人公というのは序盤にほぼ何もできなくて、ライアーゲームのように別のキーマン(大体強キャラ)にあやかって勝つか、賭ケグルイの早乙女(ごめん、実は双の方しか見たことないので汗)のようにその場の機転でなんとか凌ぐ、というイメージが強かった。ところが今回はそんなの関係なしに、主人公が確固たる実力を持っている。とにかく負けない。こういう勝負ごとの話は後出しした方がほぼ勝つという習わしがある状況下で、主人公は確定で後出しするのだ。「いや、それじゃスリルもへったくれもないやん…」と思うかも知れない。だが状況がどんなに変化しようと、相手の実力がどんなにインフレしようと、最後には必ず勝つと思って大船に乗った気持ちで読み進められるのも、なかなか快適なものである。そう、自分がギャンブル小説に求めるのはスリルでも、すべてを失う絶望感の疑似体験でもない。ただ勝って気持ちよくなれたらそれで良いんだよ…!(暴論)
柔軟な作者の視点
こう言うとやや大げさに聞こえるかも知れないのだが、本書は既存のものを組み合わせて新しいもの・考え方を生み出すという、いわばイノベーションの考え方を体現したような内容だと思う。自分たちが今までインプットしたありふれた知識の中で、誰も思いつかない結びつけをする。物書きでなくても、こういう柔軟な発想は喉から手が出るほど欲しいスキルだろう。著者は何か新しい物語を書こうと思って、まっさらな状態からゲームを考えていったのか。はたまた、このゲームを自ら遊んでいた時代に、すでにこういう味付けを考えていたのか。どちらも凄いことだが、もしも後者なのだとしたら末恐ろしい。とはいえ、ゲームのアイデアを思いついただけでこの小説が完成するわけではない。ゲームの中で矛盾が起こらぬよう、丁寧に理論を構築していかなければいけないのだ。めちゃくちゃ時間がかかりそうだ。発想力と、それだけで終わらせない思考力を両方持っている作者はやっぱりバケモンである。
終わりに
地雷グリコを読むと、本書に登場するゲームのように、アレンジを少し加えたら面白くなるネタが日常に転がっているかもしれない、という目線になる。そんな日常の見え方を変えられてしまっている時点で、作者の術中にはまっているのかも知れない。
うん、悪くない。
それでは。