最近カメラを購入してからというものの、ふらっと外に出かけることが増えた。公園や山で写真を撮っていると、いつも聞こえてくるのは鳥たちの鳴き声である。最初はその鳴き声の主が何者なのかまったくわからなかった。そのためカメラの購入と併せて図鑑を手に入れ、ひたすらそれらの鳴き声を調べていた。だが当時はそれ以上情報の深堀りをすることはなく、単に鳥の種類の同定に留まっていた。
最近ゆる言語学ラジオをよく聞くようになって、そのゲストとして登場されていた鈴木先生に興味を持った。今までただ写真の被写体でしかなかった鳥たちへの興味がもう一段階深まったのはそこからである。日頃なんとなく耳に入ってくる鳥たちの鳴き声。あれらに、実はもっと深い意味があったら?もしもそれを使って鳥たちと、いや、動物たちと自在にコミュニケーションが取れるようになったら?そんなもの、ワクワクしないはずがないだろう?
読んだ本
- タイトル:動物たちは何をしゃべっているのか?
- 著者:山極寿一、鈴木俊貴
感想云々
スペシャリストたちによる対話
本書にて対談されているのは、シジュウカラの研究に没頭しすぎて徐々に人間との会話がむしろがさつになりつつある鈴木先生と、20代の頃からゴリラの群れに加わり(←)ゴリラの行動や社会の成り立ちを長年研究してきた山極先生の2人である。この概要を聞いただけでも、一癖も二癖もあるラインナップということがわかるだろう。
自分は本書を手に取った当時は、シジュウカラについてもゴリラについてもほぼ知識を持っていない状態だった。だが、このスペシャリスト2人の対談は読んでいてなんと心地よいことだろうか。そもそも2人とも説明が分かりやすいし、専門家の対談にしては専門用語があまり出てこない。おそらく編集の方が情報量を制御しているのかもしれないが、この分野駆け出しの読者にとってはそれが嬉しかった。引きで見れば知識の殴り合いをしているはずなのだが、お互いにリスペクトもあって読み進めるのにあまりストレスを感じなかった。
もちろん学者同士の対話なので、すべてを理解するのは一般人には不可能だろう。だがそれでも、有識者がイキイキと自分の知識をぶちまけている様は第三者視点で見ると楽しいのだ。これは数年前に「ヒカルの碁」で碁を知らない読者が没頭したであろう感覚に近しいと思った。数年前に一世を風靡したヒカルの碁は囲碁というニッチな題材だった。しかし物語の面白さと圧倒的な絵の巧さで、ニッチな分野というディスアドバンテージを感じさせなかったのだ。いわゆる「何が起こっているかよくわからないけど、とにかく面白い」というやつだ。そして本書についても、それが起こっていると感じる。専門用語や複雑なロジックが出てきて、たとえ内容についていくのがしんどかろうと、専門家が「なるほど」と感心して目を輝かせているだけで読者はなんだか嬉しくなるのだ。
言語学という切り口
「言語学」という分野に関して自分が認知したのは最近のことである。それこそゆる言語学ラジオというチャンネルを見ることがなければ、言語学という分野に興味を持つことすらしなかっただろう。そして、こうして山極先生・鈴木先生の著書を拝読することで、「言語学は自然を表現するための一つ」という認識が自分の中で強くなりつつある。
別のチャンネルになるが、YouTubeのとある動画で、物理学者をインタビューする企画の動画を拝聴したことがある。その中で物理学者が主張していたのは「自分は元から物理学者になろうとしたわけではない。大好きな自然を表現する手段のひとつとして、物理学を使っているのだ」ということである。幼少期の原体験によって、自然が好きになるというところまでは皆共通して通る道だろう。だが、その先で自然を表現する方法はひとつに絞られないのだ。ある人は自然を詩で表現するのかもしれない。またある人は、自然を音楽で表現するのかもしれない。正解はひとつではないだろうし、むしろどんな表現方法であっても、いずれも(精度の問題はあれど)間違いはないのだろう。
そして、言語学という分野だってそうだ。我々人間や動物が使っている言語は、何も一朝一夕で現在のようになったわけではない。生きていく上で、必要にかられて生み出された要素ひとつひとつが積み重なってできたものだ。そのため、言語の歴史はその種の進化の歴史と言っても過言ではないだろう。そして逆に、その種の言語を読み解くことは、その種の進化の歴史を辿ることに等しいのである。
前述の物理学は自然を高い精度で表現できる手段のひとつだ。だがフォーカスするテーマ次第では、言語学もかなりの精度の高さを誇るだろう。そしてそのことを、鈴木先生が先んじてシジュウカラを題材にして証明しようとしている。
言語学によって動物たちが何を考えていて、そして動物たちから我々人間はどう見えているのか。今後それを解明することができたら、我々の自然に対する理解もぐっと深まりそうだ。
終わりに
「言葉は人間の特権ではない」ということを頭の中では理解していても、他の動物の言語に触れないとフラットに考えるのは非常に難しそうである。そして我々は言葉を使いこなしているように見えて、実は暴走する言葉に置いていかれている、というのも本書で学んだ教訓である。灯台下暗しになりがちな言葉というものに対して考える機会をくれた本書に感謝だ。
それでは。