自分は仕事開始と同時に初めて関西に移住した身だが、関西にいると、なんというかお笑いに関する周りからの圧力が強い。日常会話には頻繁にオチを求められるし、相槌に乗せて何か気の利いた返しが自ずと必要になるのである。関東にいた時はもはや都市伝説だと思っていた。しかし住んでみて初めて、それほど地域にお笑いの文化が根付いているのだと気付く。
関西に移ってまもなく、自分も文化の洗礼を例外なく受けた。サンドウィッチマンか東京03しか見てこなかった自分がお笑いの流行に乗ってみるか、と思い始めたのは2019年。「大阪というお笑いの聖地にいながらM-1とKOC(キングオブコント)を見ないやつは非国民やわ」という暴論を同僚(名古屋出身)から言われM-1を見始めたのがきっかけだが、今ではどっぷりと浸かる羽目になった。
その中でとりわけ注目していたのがオズワルド。M-1では毎回ファイナルに出るほどの実力を持ち、最近では勢いに任せる芸風が周りで目立つ中、正当派のしゃべくりを軸に会場を沸かすコンビである。そんなドはまりしていたオズワルドのツッコミ担当である伊藤俊介氏が本を出版することになった。こんなこと自分で言うのもなんだが、ファンならば内容も確認せず、脳死で本屋に駆けつけて手にしてしまうのは仕方のないムーブだろうと思う。

本記事のサマリー:
- これはエッセイ?いやいや、「拷問」です
- 笑いってなんだか日本から消えつつあるよね
- 勢いとかじゃなくて、日本語の魅力で笑わせてほしい
読んだ本
- タイトル:一旦書かせて頂きます
- 著者:伊藤俊介(オズワルド)
ざっくり内容
タイトルから若干想像できるかも知れないのだが、本書は伊藤氏によるエッセイである。実は伊藤氏には、これまでダ・ヴィンチWEBやnoteで本人が数年に渡り執筆してきた数々の投稿がある。ジャンルは絞らず、家族、友人、大学、仕事、そしてM-1など多岐に渡っており、これまで伊藤氏が体験してきたことがありのまま収録されている。
上記の執筆のテーマ(ワード)だけを見ると、一見ありふれた内容で、まるで他人のホームビデオを見るような気分になるんじゃないかと思う方もいるだろう。だが重要なのは、これらのありふれたテーマを「オズワルド」のセンスで書かれていることである。なんの変哲もない日常、またはギリギリ日常から外れたかな、というレベルのちょい非日常…これを伊藤氏の抜群のワードセンスで、まるで魔法のように面白い話へと変えてしまうのである。(もちろんエピソード自体も面白いが。)
そして本書は単に「読み物として面白い」だけに留まらない。行間も、比喩の使い方も、文のリズムの良さも、全てが独特であり、学びである。人を笑わせる・喜ばせることを生業としている人がいざ文章を書くとどうなるのか。今後自身のトークや、ライティングに活かすためのエッセンスがたくさん詰まった一冊となっている。
ちなみに前述で「エッセイ」とジャンル分けされているが少々訂正がある。これはエッセイではない。「拷問」である。本書は読者が電車やバスなどで読むことを想定して書かれていない。一部の読者はその場で盛大に吹き出して、転がりながら大爆笑したいのを抑えて、人混みの中我慢してニヤニヤするに留めることを余儀なくされる。時勢柄、マスク文化というのはあまり健全なものではないのだが、今がマスク文化でよかった、と思えるだろう。
感想云々
日本には笑いが足りていない、と最近感じるようになっている。
近年ではテレビのニュースや新聞を見れば、まず暗い話題が先に出てきてしまう。情報化の社会が加速して拾われる事象が多くなったから、というのもひとつの原因だろうが、そんな暗い内容ばかりを摂取して身体にいいわけがない。最近では、それらに関する研究も存在しているほどだ。自分のように某メンタリストの動画を血眼で追っている人ならば良く知っているだろう。
ノースカロライナ大学の研究成果だが、嫌なニュースや攻撃的なニュースを朝数分でも見ると、一日が終わるまで嫌な気分を引きずってしまうという結果が分かっている(データを見るまでもなく、そうなることは直感的に分かるかもしれない)。もっと不思議なのは、嫌な情報を朝仕入れた人は単に気分だけでなく、実際に嫌なことが身の回りに起こる確率がアップしてしまうということまで分かっているのだ。日本では情報がねじ曲がることも多々ありそうだから、実際はよりひどいことになっていそうである。
世間の情報を一切知ることなく生活する、というのは確かに問題ではあるだろう。しかし、一方で前述のように一日のパフォーマンスを悪化させてしまうリスクも併せて存在している。「若者のテレビ離れが~」なんて長いこと騒がれていることだが、これらのリスクの折り合いがあって、案外平衡に保たれている可能性だってある。もし、知らず知らずのうちに朝ニュースを見ることをルーティンにしてしまっていたら、朝をお笑いに変えて一日をスタートさせるというのも、かなり効果的な一手と思うのだ(別に笑えるコンテンツならば何でも良さそうだが)。たまーにお笑いに分野を卑下する人を目にするが、国民全員が朝からニュースを見て、総鬱状態で一日を過ごす(かつ繰り返す)よりもよっぽど健全ではないだろうか。
そして、これは単なるお笑いに対する要望だが、ぜひ「日本語」で笑わせて欲しい、と思うのだ。最近では、どうしてもその場の勢いにまかせてしまったり、大声で叫んでばかりという芸風が増えてきているように感じられてしまう(偏見だろうか)。確かにそういう瞬間風速が大事な場面もあるのかも知れない。だが、日本語には他の言語で言い表わすことができないような特有の表現や、間の取り方が存在している。これは自分が落語を昔からかじってきたから感じることなのかも知れない。しかし、そういう日本語ならではの魅力を引き出し、アウトプットすることに長けているのが噺家や芸人だと思っている。それも魅力を伝えるだけでなく、笑いに持っていってまう。素晴らしいことではないか。
本来日本語の持つ魅力を知って、かつその魅力を伝える。そんな芸人や噺家が増えて欲しいし、かつそういう人達からしか得られない栄養素を、積極的に摂取していきたいものである(オズワルドには、ぜひその一端を担って頂きたい)。
終わりに
別に好き嫌い等はないが、なぜか敬遠してきた芸人のエッセイ。本は今までも細々と読んできたが、笑いを抽出するためのメディアとして再認識できたのは新しい成果かも知れない。オズワルド、これからも応援しているぞ。
それでは。