初めて養老先生の本を拝読したのは「バカの壁」だった。当時中学生だった自分は、その話題性とタイトルのインパクトから興味を持って生意気にも手を出してみた。しかし当時は頑張って読み進めてみるも、ひたすら小難しい話が続くなと思って終わった記憶がある。そこから養老先生の著書の敬遠はしばらく続くのだが、養老先生の魅力が分かるようになったのは大人になってからである。それは読書を続けて語彙も知識も身について、比較的専門的寄りの本でも紐解けるようになったことも理由のひとつだ。しかし、なによりも大きかったのは養老先生が昆虫を愛しているという側面を見つけたことだ。医師であり東京大学の名誉教授でもある、雲の上の存在ともいうべき養老先生が、昆虫というテーマになった瞬間に童心に帰ったように語りだすのである。そんな側面を知ったときは、こんなにも嬉々として自分の好きなことを(それも昆虫について)語る人が他にいるだろうかと衝撃を受けたのである。そんな養老先生が本書に持ってきた「日本が心配」というタイトル。日本に関する心配事といえば、災害のことであったり、政治・経済の不安定さが真っ先に思いつく。一方で養老先生が思う日本に対する心配とはなんなのか。それが気になって、これまたタイトルに惹かれて読んだ。

本記事のサマリー:
- 地震も怖いけど、人間の忘れっぽさも結構怖くない?
- 今まで地震に対して怯えてばっかりで、学ぼうとしなかったわ
- 養老先生の子供の幸せの考え方が素敵すぎる
読んだ本
- タイトル:日本が心配
- 著者:養老孟司
- 出版社:PHP研究所
感想あれこれ
南海トラフよりも怖いと思うのは…
本書を読んで自分は南海トラフ巨大地震の威力と怖さを改めて思い知った。それと同時に、人間の忘れる力も怖いと感じた次第である。自分が巨大地震といえるものを最後に経験したのは、東日本大震災である。思い返してみると、もう15年前のことでだ。当時震災が起きたとき、自分は茨城県にいた。茨城県は震源からはやや遠い&住まいが茨城県の中でも内陸側に位置していたので、津波の脅威からは免れた。しかし当時の地震は、自分の人生において経験したことのないほどの、とても強い揺れだったことを覚えている。地震が発生したら机の下に逃げるのがセオリーと分かりきっているはずなのに、机の下への移動もままならなかったほどだ。茨城県でもこの勢いなのだから、震源により近い東北地方の当時の凄惨さや恐怖は計り知れない。
普通だったらこのような強烈な経験をすると「もうこんな思いはするまい」と思って災害への意識が強くなるだろう。しかし15年が経った今、本書を読むまで自分の意識が限りなく遠いところにいることに気がついた。南海トラフ巨大地震は起きると分かっているのに、どこか他人事のように考えていた自分がいたのだ。災害を経験することで、より目を背けるようにしてしまっていたのかもしれない。人は忘れることによって精神的なダメージを回避し、なんならそのお陰で死を免れていう側面もあるらしい。だが、災害に関することもきれいさっぱり忘れてしまって、また同じ目に合うのは果たしていいことなのだろうか…?
ただ怯えるだけではなく学ぶということ
前述の通り南海トラフ巨大地震の怖さを知ることができたところで、自分がそこから何もしなかったかというと、そうでもない。2025年のどこかだったかと思うのだが、「この期間に南海トラフ巨大地震が起こりそう」と騒がれていた時期があった。そこで危機感を覚えた自分は、非常食や災害時の予備品を可能な限り買い集めた。結果、今でも非常時の備えとして部屋に常備されている(非常食は期限が近づいてきたが…)。個人的にはこれでも大進歩だと思っていたのだが、本書を読んで、最低限必要とされる災害の知識の不足加減を思い知った。本書で語られている知識は(後から思えば)決して難解なものではなく、むしろ知っていて当然とも思える知識である。例えば、地震が起こったら数日はそこからむやみに移動を開始しないということ。これは皆が移動すると、車道にまで人が溢れ、消防車や救急車の活動に支障をきたすためだ(そして局所的に過密状態になり、大混雑や集団転倒も起こりやすくなる)。本当に簡単なことだが、これを知っていないと家族や友達が心配なあまり、早く合流しようと思ってしまうかもしれない。そういった最低限の知識が完全に抜け落ちていることを、本書を読んで気付かされた。なんならその気付きはやがて焦りに変わっていった。この知識の抜け落ちは、自分が災害についてなにも学ぼうとせず、なんとなく怯えているだけの小人にとどまっていた故だと思うと、なかなか悲しいものがある。
ついでにもの凄く小人ぽいことを言うと、自分が家を構える気になれないのが、これから起こりえる災害への恐怖心によるものだ。自分のよう三十歳を超えてくると、結婚ラッシュが落ち着いて子供も生まれ、一軒家へとシフトする同世代が増えてくる。そんな彼らを見ると「巨大地震は怖くないのか?」と思ってしまうのだ。彼らは人生一度切りなのだからそのくらいのリスク知らんぜ、と割り切っているのだろうか。はたまた自分の元来の臆病さが全面に出ているだけで、南海トラフを隠れ蓑にして、すっぱいブドウ論をただ展開しているだけなのだろうか…
災害よりも心配なことは…
本書の中で養老先生の話は南海トラフ巨大地震から、未来の日本の自然や子どもたちへとフォーカスされている。その中でこんなフレーズがあった。
子どもの幸せって、「身体にとって必要なものは、自分でなんとかする。自分の身体を使って、自分でつくる」、そんな生き方の中にあると思うのです
引用:日本が心配|PHP研究所
個人的に正直、これが本書の中で一番良いフレーズだった。このフレーズ、以前の自分ならばっくりと「良い考え方だな」とだけ感じたかもしれない。しかし今までと違って現在は自分が人生の大きな変化点に向かっており、そのフェーズに来たタイミングで本書に出会い、さらにこのフレーズに出会って、正直激刺さりしたのだ。その変化点というのは、もうすぐ自分の子供が生まれて家族が増えるということだ。これから生まれてくる自分の子供には、それはもう無限に愛情を注ぐ所存である。しかし、そうは思っても子育てで割と浮かんできてしまう心配事というのは、正直経済的なものが多かった。「子供の学費を無事賄えるだろうか」とか「これから車も買う必要があるんだろうか」とか、自分でなんとかなると割り切っていても、どうしても不安が浮き沈みしてきてしまうのだ。だが本書を見て、少し自分の中で考えを改めた次第である。お金とか物とかいろいろあるが、とにかく自分の子供には不自由のないようにバックアップしてあげたいという一方通行の思いが今までで芽生え始めていた(与え過ぎが良くないということも十分理解していたつもりだったが)。しかし、本当に子供に必要なのはおそらく「自由」なのだ。自分のことは自分でやらせて、たとえうまく行かない時があろうと、それを糧にして子供自身の成長につなげる。それが大事なことなのだ。一方で、親から一方的に何でも与えてあげると、その成長は鈍化してしまうだろう。自由と責任を与えてあげることこそが、子供の真の幸せなのだと、改めて感じた。自分の子育ての方針を直接押し付ける気もないが(というか押し付けようがない気がするが、)これから生まれてくる自分の子供を、この姿勢で見守りたいと思った。
終わりに
これだけ日本に関する心配事をモリモリと挙げられると、自分の中で不安とか不満が渦巻いてきてしまう。じゃあ自分がどうしたいとか、どうなりたいのかというと、それもあまり言語化できていない。なんだか本書を読んで日本が心配になる以上に、「自分ってこのままでいいのか?」と、自分の人生の心配事のほうが浮き彫りになった気がするな…
それでは、また。
