世の中にはバズワードというものがあるらしい。「それっぽくて耳障りが良いが、内容が曖昧なまま広まっている言葉」という意味だそうだ。これはもしかして言葉だけでなく、本や概念にも同じようなことが言えるのだろうか。本書で解説されている君主論もそのひとつだ。なんとなくイメージはあるけど、中身をよく知られていないままタイトルがひとり歩きしている代表格だろう。自分の場合、「君主論」というか「君主」というワードを目にするだけで、なんとなく「とにかく冷酷」とか「絶対王政」みたいな大衆を抑圧する権力者のイメージしか湧いてこない。そんな自分のような、君主論に対してバズワードならぬバズ概念をお持ちの方は、本書をとっかかりにしてみるのも良いのかもしれない。

本記事のサマリー:
- 残虐さって時には必要なんだぜ
- 目的達成のためには万人から好かれる思想捨てよう
読んだ本
- タイトル:すらすら読める新訳 君主論
- 著者:マキャベリ(関根 光宏 訳)
感想云々
統治のために「力」に頼る
マキャベリの本を読んでいると、自分は大衆が作り出す組織内部の謎のしぶとさというか、見えないつながりの強さを実感せずにはいられない。マキャベリは君主論の中で「権力の獲得方法と使い方」をテーマのひとつとして挙げている。そしてその権力の獲得方法というのが、なかなか衝撃的だ。それは「残虐さを『善く』使え」というもの。もし組織を統治しようと思うならば、その初期は生半可なことをせずに一気に叩き潰してしまうというのが吉であるというのだ。権力を手にするまではあくまで冷酷に徹するというのは、かなり極端な暴論に聞こえる。しかし、よく考えたら個人的には共感できる部分もあるのだ。職場でもなんでも、もし誰かが新たな組織のメンバーのトップとして迎え入れられることになったらどうするだろう。最初は様子見をするように組織に馴染んでいき、多少仲良くなったところで自分の色を出すように小出しで改革を進めていく、という人もいるのではないだろうか。しかし、そんな感じでぬるっと入るのでは大きな改革を進めるのは難しい可能性がある。元々組織に存在している精度の恩恵を受けていたメンバーに対して、多少仲良くなったところで新しい制度へと心を突き動かすだけのエネルギーを与えられるとは到底思えないからだ。
自分はリーダー側ではなかったのだが、変革の難しさについて、自分にも職場における経験が少しだけある。自分の所属する職場は他のそれと比べて、非常に人員の流動が少ない。良い悪い含めて、20年前のルールがそのまま適用されているなんてことはザラにある。そんな職場に来たリーダーたちは、初めは実態を見て驚くのだ。それほどに健全な組織とはかけ離れた部分がたくさんあるのだろう。そして当然、新しいリーダーは何か変えようと、色々新しいことを試みる。しかし、いずれもうまくいくことは無かった。長年現状維持でおいしい思いをしてきた大御所たちから頭ごなしに反対され、何を変えても元のルールから大きく逸脱することがなかった。そして組織にうまく馴染むことができずに、あっという間に淘汰されたリーダーもいる。このように、とても強いエネルギーのもとスタートダッシュを切らないと、その後組織に変革をもたらしたり、統治することが困難になるケースもある。それならば本書に書いているとおり、統治するために「残虐さ」を一度だけ使い、その後はそうした行為はせずにできる限りメンバーの利益を守る方向に転換するというのも有効な手なのだろう。ただ裏を返せば、残虐さを一時的にでも用いなければならないほど、既存のコミュニティや組織の新しいルールに対するフットワークは重い。そんなことを考えさせられた。
悪人になることを厭わない
「悪徳を行わなくては支配権を守ることができない場合には、悪徳の汚名も気にすることはない」。本書のこのメッセージを見てぱっと思い出したのは、マーケターである森岡氏の書籍であった。
マーケティングの事業を立ち上げて大成し、今やメディアにひっぱりだこの森岡氏であるが、彼にもかつてリーダーとしてうまくいかずに辛酸を舐めた時代があった。そんな逆境の時代に彼が得た教訓のひとつは、「結果を出さなければ誰も守ることができない」ということである。組織にとってどんなに都合のいい働きをしたとしても、結果が悪ければ誰も守ってくれないし、誰も守ることはできない。そのため、リーダーとして成さねばならないことは、誰に嫌われようが、鬼と揶揄されようが、結果を出させることなのである。
森岡氏の主張は、君主論と若干オーバーラップする部分があると感じる。確かに、組織のメンバーからすれば表面上は「なんだコイツ」と思うような厳しく、冷酷なリーダーに見えるかもしれない。しかし、何も好んで冷酷さ・残虐さをあらわにしているわけではない。森岡氏然り、君主論に登場するチェーザレ・ボルジア然り、本気で会社や国の存続を考えた上での行動なのだ。自分が統治する組織の存続のために、万人から良く思われたいという甘い考えを捨てられるかどうか。その決断力こそ、リーダーが持つべき資質でもあると感じるのだ。
終わりに
君主論に書かれていることは一見極端だが、世の中にその考え方を取り入れている経営者は少なからず存在している。君主論が示すリーダーシップはあくまで数多の考え方のうちのひとつだろうが、その効力や信頼性は、今までそれが読みつがれてきた歴史が証明しているのだろう。
それでは。


