大人になってからというもの、自分の生業に関係のない知識をインプットすることが楽しく思えるようになった。それは読書を継続していたからというのも大きいが、色々なメディアに触れていたというのも大きい。コンテンツに振り幅はあるが、YouTubeだって貴重な情報源だ。特にYouTubeだと、クイズをベースとしたコンテンツなんてのはザラにある(なんならそれを食い扶持にしてしまう高学歴の凄すぎる集団もいるくらいだ)。自分は安直なので、動画内で出題されるクイズにバッチリ回答できるのがとても気持ちよく、それがさらに知識をつけるモチベーションにつながっている(たとえ不正解でも解説が学びの糧になるので、クイズというものはとても良くできている)。そうやって単発の知識をひたすら蓄えて、事あるごとに少しずつアウトプットしていくのも面白い。だがそれ以外にも、単発の知識で終わらせないインプットの面白さを教えてくれたのが本書だ。なにわ塾叢書の書籍を手に取るのは初めてだったが(そもそも「叢書」が読めない状態から始まったが)、対話形式ということも相まって、まるで講義を受けているかのように読み進められる本書の内容はスッと入ってきた。

本記事のサマリー:
- 化学の道を目指すのって、みんな何がきっかけなの?
- ストーリーの重要さに改めて気づいた
- 化学の知識って、日常生活でも必要だよね
読んだ本
- タイトル:生命の化学-なにわの科学の伝統
- 著者:芝 哲夫
- 出版社:ブレーンセンター
感想あれこれ
化学にのめり込むモチベーションは…
本書はタイトルにも含まれている通り、「化学」がメインテーマとなっている。言うまでもなく、自分たちの身の回りのものはほぼすべてが化学に絡むと言ってもいいほどに、化学というものは我々にとって不可欠な分野である。だけど、そもそも個人が化学(もっとマクロに「科学」)の道を志すモチベーションってなんなのだろうか?大前提として自分は化学とは違う道を選んでしまったのだが、改めて考えてみるときっかけはいろいろありそうだ。
例えば学校での理科の実験。少なくとも小・中では理科は必須となっているため、理科の実験は誰しもが通る道だろう。もちろん自分も理科の実験は経由したのだが、たとえ理屈を十分に理解していなくても、屋内外で体験できる科学の不思議な現象は面白かった記憶がある(虫眼鏡を手にすると、日光を集光して植物や昆虫など無差別に焼き払っていた、サイコパス人間であったのだが…)。なんでも吸収してしまう幼少期に、理科のような楽しい原体験があると、今後の人生を左右するレベルで影響を与えそうだ。
また、最近では漫画やアニメの影響を受けて科学に興味を持つケースも増えているのかもしれない。今日では漫画の題材は多岐にわたっており、科学を題材にしている漫画もたくさんある。自分の場合は、大学生の時にトライボロジーについていろいろ調べていたら、「トライボロジー」というそのままのタイトルで工学系女子の恋愛漫画にたどり着いてしまったこともある(ちなみに割と面白かった)。しかし科学系の漫画で金字塔になりつつあるのは、なんといってもDr.Stoneではないだろうか。あんなに難しそうな科学の知識をゴリゴリに詰め込んでいるのにも関わらず、ワクワクするようなクラフトが次々と登場する展開は、多くの人を夢中にさせただろう。自分もDr.Stoneを幼少期に見ていたら、化学の道を頑張って目指していたかもしれない。そう思えるくらい、自分にとっては強烈な内容だった。
さらに、そもそもその人が育った環境というのもあるかもしれない(というか、それが一番大きいかもしれない)。自分の場合は大学に進学する際、機械工学の道を選んだ。その理由として、自分が育った街がいわゆる「ロボットの街」であったことが大きい。中心市街地は基本的にロボットの走行テスト区域となっており、ロボットが闊歩していることもしばしば。なんなら田舎道で見る「動物注意!」のノリで「ロボット注意!」の看板が掲げられているという徹底ぶりだった。県全体で見ると田舎ではあるが、あと数年もすれば禁書目録や超電磁砲に登場するような学園都市が本当に実現するんじゃないかと思えるくらいの最先端の都市だった(実際にその凄さに気づいたのは、県外に出ていってからだが…)。自分はそうやって二十数年間は刷り込まれてきたので、機械工学の道に進むことを厭わなかったのだ。
以上のように、その道を目指すきっかけはなんなのだろうと改めて考え出すと枚挙に暇がないのだが、実際にはもっと複雑にエピソードが絡んでモチベーションへと繋がっているのだろう。
0→1になったモチベーションを、10にも100にも増やすには
自分は化学という分野を面白いと思うものの、それに人生をかけようと思うまでにならなかった。なぜなら、自分の中で化学は残念ながら受験勉強的な認識を抜け出さなかったのだ(ただし有機化学の分野はまるでパズルのようで、問題を解いていて楽しかった)。とにかく受験を突破するために、化学ではとにかく高得点を取ることが目標。そのために自分は細かいロジックは捨て、とにかく暗記に走った。その結果、後に残ったのは自分の中であまり繋がりを持たない単発の知識群だった(そこにモチベーションなど存在しなかった)。そんな中で本書を読んで、その分野の歴史的な背景を知ることはモチベーションの上がり方を何倍にも膨らませてくれる重要な要素だということに気づいた。本書ではペプチドの誕生秘話とか、任意の化合物がどのように推移して我々の生活に溶け込んで豊かにしてくれたかなど、普通の授業ではなかなかインプットされないような時代背景が十分に、かつ分かりやすく語られている。本書の内容のように、ストーリーを以て知識の点群を自分の中でつなげることができたならば、もっと化学という分野にのめり込むことができたかもしれない。本書を読んで、そんな後悔が今更ふつふつと沸き起こってきた(なんなら、ヒカルの碁15巻で佐為を失って事の重大さに気がついたヒカルくらい後悔している)。
日常生活に必要な化学の知識
前述したが、化学は我々がその存在を忘れるレベルで日常に溶け込んでいる学問である。もし化学の道に進まんとするのならば、化学に関する知識をひとつでも多く有しておくに越したことはないだろう。しかし、別にその分野におらずとも、化学の知識がないと困ると思うことがある。というのも、知識を持っていないと日常生活で不毛なことに時間を取られることがしばしばあるからだ。代表的なのが、本書にも登場する味の素。今や「味の素論争」というジャンルでなじみのある(?)、賛否両論の話題だが、未だに決着がついていない気がする。本書において、専門家が結論を出しているというのに(というか、本書じゃなくても多くの専門家が、至るところで同じ結論を言って回っていると思うのだが)。言い方が非常に悪いかもしれないが、知識を有していないと味の素論争に見られるように、ゼロヒャク思考しかできない一部の過激派に巻き込まれて時間を取られることになる(大量に摂取したら体に悪影響を及ぼすって、そんなのどんな調味料でも当たり前のことだろ…)。そういう無駄な時間を過ごさないためにも、きちんとした知識をつけておくことが大事なのだと思う。というか、自分自身も知識を持たない分野では、極端なゼロヒャク思考しかできない存在になっているかもしれないのだ。付け焼き刃の知識しか身に着けていない分野では、不用意に発言などしないほうが身のためなのだろう。いや、マジで。
終わりに
最近様々なメディアでインプットする知識というのは「より簡潔に」「より短く」にシフトしていて、なんだか文脈とかストーリー性というものが徐々に失われているという感覚がある。単発の知識を仕入れるのはとても楽しいのだが、それらにどんな繋がりがあるのかを少しでも意識すると、その分野の見え方がまた違ってくるのかもしれない。
それでは、また。
