我々は普段会話の中に慣用句を織り交ぜているが、その内容についてちゃんと吟味したことはあるだろうか?我々は「目から鱗」とか「自分のことを棚に上げる」とか、今日では何の違和感もなく使っている。だがそれらを実際の行動に置き換えてみると、だいぶ意味の分からないものも存在している。
慣用句に使われているものはもちろん比喩表現なので、現実には存在していないはずである。だが、そんな当たり前のことに疑問を抱いたのが著者だ。
あくまで比喩表現だから現実には存在していないものが、もしも存在していたら。それらはどんなものなのか?それらはどんな形をしているのか?それをイラスト付きで面白おかしく紹介しているのが本書である。本書ではそのアイデアの斬新さに驚かされることであろう。

本記事のサマリー;
- 「思う壺」は、なかなか自分の手元に回ってこない
- 「金字塔」って、生前に打ち立てたら苦労しそうだよね
読んだ本
- タイトル:ないもの、あります
- 著者:クラフト・エヴィング商會
感想云々
思う壺
よく「相手の思う壺」とか「犯人の思う壺」とか、例文として非常に分かりやすい「思う壺」という表現である。その語源を調べてみると博打でサイコロを入れて振る壺皿のことを指すらしい。熟練の壺振り師は狙った通りにサイコロの目を出せることから、転じて「意図したとおりになる」ことを「思う壺」と呼ぶようになったそうだ。
会話の中でこの慣用句を使うのは造作もないことだろう。が、本書に書いてある通り、思う壺というのは常に相手目線の話であって、中々自分目線でこの壺表現を使うことがないというのは新しい発見である。そんなことは今まで気にしたことがなかったので、言われて初めて「へぇぇ」と唸ってしまった。
現実にたとえ存在していたとしても、その壺がずっとて自分の手元にあるなんてことはまずないだろう。相手が思う壺を使ってくるならば、こちらもとびきり上等の「強欲の壺」で対抗してやりたいものだ。
金字塔
金字塔は「後世に残り続ける業績」とか「歴史的に優れた記録」という意味である。意味自体は知っていたが、語源を調べてみるとピラミッドが由来なのか、と改めて認識する(勝手にもっと巨大なバベルの塔とか、オベリスクみたいなものを想像していた)。
金字塔は偉業そのものも指すし、遺産的な意味合いも強い。そのため、金字塔の価値は時間と共に変化すると思った方がいいのだろう。もっと言うならば、金字塔が金字塔であると認定されるのは、打ち立てた当人がこの世を去ってからの方が望ましい気がしている。本人のせいで金字塔の価値が下がることがなくなるからだ。
もし、金字塔をその人が生きている間に打ち立ててしまったらどうなるか。その金字塔を打ち立てた瞬間がその人の人生のピークであり、最大風速である。あとはこの金字塔が打ち崩されて残りの人生が下り坂にならぬよう、必死で守りきらねばならない。その金字塔がSNSで叩かれて鍛造されようが、だれかに爪痕を残されて切削されようが、だ。できれば生前に欲しいが、本人のいないところで後から不滅のものとして打ち立てられる。そんな感覚でちょうどいいと思えるのが金字塔という存在なのかもしれない。
終わりに
自分は慣用句を試験勉強的に学んでいたけど、著者は慣用句に触れるたびに「これを具現化したらどうなんのかな?」とイメージを膨らませていたのだろうか?もしそうだとしたら、その想像力に舌を巻く思いである。あれ、舌を巻いた時の舌ってどんな形をしているんだろうか…?
それでは。